スレ建て自粛しようかと思っていたが、別スレを見て感化されたので建てる。
http://ift.tt/1fnE3Ab
このスレの目的は大きく2つだ。
【その1】ライトノベルが純文学の系譜に属すること。
【その2】だがそもそも純文学がオワコンであること。
以上を物的証拠で示す。
最近、「ライトノベルは小説ではない」という意味不明の論調が目立つが、それは大いなる誤解だ。
なお、オワコンという言葉は死語なので使いたくないのだが、他にちょうどいい煽り文句がないので使わせてもらうとする。
これからお前らの認識を変える。
レスがなくても淡々と書いていくことにする。
独り言のつもりで書いていく
なぜ、文学やSFが衰退しているか。
才ある若者がラノベ畑に吸われているからだ。
限りある作家リソースを食いつぶしているのは、読者であり、無能な編集者だ。
俺はこの現状を看過できない。
例えば
仮に21世紀に「指輪物語」や「不思議の国のアリス」を書いたとして
その新作、どこの出版社で発表するんだよ、って話だ。結局、新人さんならラノベ行きになる。そして、ラノベ作家としてデビューしたら、永遠にその肩書きがついて回って、ラノベ形式で市場に出る。
別の出版形式なら文学扱いだったかもしれないのに。
そして、お前らはそれを叩く。
つまりお前らは加害者だ。
今、何が起きているかを知るために大切なのは
ずばり「歴史」だ。
ネットで持論を述べたところで、いくらでも反論は沸く。
だから意見を述べても仕方ない。必要なのは事実認識だ。
ここで行いたいのは「ラノベ文学史観の共有」だ。
現段階で、ラノベ関係者から直木賞あるいは候補者が既に10人近く出ている。
お前らの多くが思っている以上に、既にライトノベルは文学と融合を始めている。
ライトノベル史が20~30年
作家のデビュー年齢が20~30代
つまり、世代交代が始まりつつある。
子供の頃からライトノベルに親しんできた世代が、文学者になろうとしている。
あらましはこうである。
○時間的系譜
【70年代】純文学からSFが分離
【80年代】SFと児童文学からライトノベルが分離
【90年代前半】哲学小説としてライトノベルが台頭
【90年代後半】ライトノベルが純文学に影響
前衛小説誌 メフィスト刊行
【00年代前半】セカイ系SF全盛
ライトノベルから直木賞作家続出
ライトノベル独特の文体確立がこの時期
【00年代後半】ミステリ作家のライトノベル参入開始
一方でSF中心に出版業界全体の衰退が始まる
【10年代前半現在】あらゆるジャンルが混然一体となりつつある
【未来予想】純文学作家によるライトノベル出版例が出現
ライトノベル出身の芥川賞受賞者が登場
世論が大きく変化するのは時間の問題である
順を追って話すとしよう。
まずは本スレにおける用語を定義したい。
【総論1】
○小説のヒエラルキー
(1)純文学
(2)一般文芸
(3)ライトノベル
日本の文芸は大きく三つの階層に住み分けている。
読書初心者の多くは、このうち(1)と(2)をまとめて「文学」と解釈している場合が多い。しかし、その区分は大いに間違っている。
○エンタメ小説
まとめられるべきジャンルは(2)と(3)である。
すなわち
一般文芸+ライトノベル=エンタメ小説
である。
小説┬純文学
└エンタメ┬ 一般文芸
└ ライトノベル
とりあえずいっておきますね
ラノベオタ必死だなwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
>>17
ちなみに俺自身はラノベが嫌いです。
アンチか信者かの二元論的な馬鹿丸出しの話はしないつもり。
いろいろな事実を、ものの見方を書いていくので、
それをもとに各自が意見を持ってくれれば結構。
論破とか、するつもりはないから。
「独り言」と書いたのはそういう意味。
お前らは「純文学」と「一般」を一纏めに語るから
話が非常にややこしくなる。
分けるのは、そこじゃない。
デビュー方法、出版戦略、執筆技術、その他諸々
一般とライトノベルは同族。
純文学だけシステムが違う。
純文学と大衆小説を混同していない?
直木賞は大衆娯楽小説を対象にした賞だからライトノベルが含まれてもおかしなことではないんだよ?
>>20
混同してないつもり。
俺個人は、ラノベ作家が直木賞を取っていることに何の疑問も持っていない。
ただ、ネットに集まるガキどもが、その事実すら知らないことを揶揄しているまで。
分かりやすい
続けて
※大切なので繰り返す。
小説 ⇔ ラノベ ではなく
純文学 ⇔ 一般とラノベ=エンタメ が正しい理解だ
・純文学=私小説、哲学、前衛
・エンタメ=キャラクター小説
と解釈すると、およそ間違っていない。
あくまで私見だが
それぞれに作法がある。
・純文学とは、主に私小説であり、脚本ではなく演出を楽しむものである。
・エンタメ小説とは、キャラクター小説であり、脚本や伏線回収が評価対象となる。
・純文学とライトノベルの二者は最も遠いが、一回りして「実験小説」あるいは「前衛小説」として表面上は似た形式になる。
だから、エンタメ小説であるライトノベルに関して「文章が拙い」とバッシングするのは端から的外れであるし、純文学である村上春樹に関して「シナリオが理解できない」と叩くのも無意味だ。一方で「村上春樹はライトノベル的である」という指摘は正しい、というのが俺の立場だ。
長い部分はスルーしてくれ
文芸全般において「デビューした賞=作家の肩書」という習慣が横行していて、お前らは直木賞作家の桜庭一樹(『GOSICK』作者)を延々と「ラノベ作家」と呼ぶ。
だが後述するように、今後、作家のジャンル分けシステムは崩壊する。
作家の身分制はもうすぐ崩壊する。
というより、崩壊すべきである。
繰り返すが、
作家は最初にどこに投稿したかで、出版形式が決まる。
よく、村上春樹はラノベ!って意見があるけど
彼は純文学の賞でデビューしたから、何を書いても純文学扱いだ。
この辺りの事情は、村上隆はアートか? という問題と共通している。
○ジャンル的系譜(作家の越境)
まずは人事交流があることを心得て欲しい。
1)下り路線
【SF→ラノベ】筒井康隆、夢枕獏、山本弘、奈須きのこ、野尻抱介
【純文学→ラノベ近傍】村上春樹、高橋源一郎、阿部和重、平野啓一郎
【直木賞→ラノベ近傍】三浦しをん、石田衣良、辻村深月
【古典ミステリ→ラノベ近傍】赤川次郎、綾辻行人、宮部みゆき、神永学
【メフィスト→ラノベ近傍】京極夏彦、森博嗣、清涼院流水、西尾維新、佐藤友哉、辻村深月
2)上り路線
【ラノベ→ミステリ】冲方丁、米澤穂信、乙一、山白朝子、中田永一
【ラノベ近傍→純文学】浅暮三文、円城塔、舞城王太郎
【ラノベ近傍→直木賞】山本文緒、唯川恵、村山由佳、桐野夏生、角田光代、桜庭一樹
【ラノベ→その他ジャンルへ】有川浩、滝本竜彦、柴村仁、橋本紡、小野不由美、冲方丁、小川一水、桜坂洋、新城カズマ、上遠野浩平
>>27
一応言っておくが、山本弘と野尻抱介はラノベ出身
内容はともかくレーベルは角川スニーカーと富士見ファンタジアなので
>>38
認識してる。後で述べる。
別々の機会に書き溜めていたメモを纏めているので、書き方に自己矛盾があったら詫びておく。
このスレの意図は
「文学ファンによる討論」ではなく
「ラノべしか読んだことがないのに純文学について語るガキたち」
に対して啓蒙することにある。
啓蒙とかいうイタい表現は使いたくないけれど。
【舞城王太郎】
第131回 芥川龍之介賞候補作『好き好き大好き超愛してる。~♥♥♥UI♥U! (Love Love Love You I Love You!)~』
により話題となる。その後も、芥川賞ノミネート複数回。西尾維新と同じ新人賞出身である。『新劇場版エヴァンゲリオンQ』同時上映作品「巨神兵東京に現る」の脚本を務める。作中でしばしばネット掲示板を話題にし、アスキーアートについて言及している。
【阿部和重】
アニメ『カードキャプターさくら』のファンを公言。ラノベの審査員を務め、ハルヒのスピンオフ小説を手掛けた。その後、2005年に『グランド・フィナーレ』で第132回 芥川賞を受賞。失職したロリコン男性が、2人の少女と出会う物語である。
【平野啓一郎】
1999年に『日蝕』により芥川賞を受賞。当時最年少。中世フランスを舞台に、錬金術師の旅路と、両性具有者との出会いを描く。クライマックスの射精シーンでは、見開き1ページが白紙という視覚的演出が絶賛された。なお本作は、RPG的ゲームの世界観に基づいていることが指摘されている。
【桜庭一樹】
1999年、ライトノベル新人賞によりデビュー。アニメ『GOSICK』原作者として有名。2008年、第138回直木賞を受賞。
【冲方丁】
富士見ファンタジア文庫および角川スニーカー文庫にて、ライトノベル『シュピーゲル』シリーズを執筆。同年発表した新作は、映画『おくりびと』の監督によって映画化された。直木賞候補ノミネート複数回。
【円城塔】
2007年、ハヤカワにてSF作家としてデビュー。ライトノベル読者であることを公言し、第23回三島由紀夫賞候補、第32回野間文芸新人賞受賞となった『烏有此譚』では、作中で電撃文庫作品を引用した。
2012年、第146回芥川賞。受賞にあたり、ナボコフの小説『ロリータ』を参考としたことを述べた。2014年、アニメ『スペースダンディ』の脚本を手掛ける。
【高橋源一郎】
1988年、第1回三島由紀夫賞を受賞。文字のフォントサイズを変え、台詞と改行を多用するライトノベル的文体が絶賛されている。近作に『官能小説家』『「悪」と戦う』『性交と恋愛にまつわるいくつかの物語』など。その他、文学賞受賞多数。
【石田衣良】
2003年、直木賞受賞。2013年、ライトノベル執筆を公言。
【筒井康隆】
1997年、フランス芸術文化勲章を受賞。2002年、紫綬褒章を受賞。
2008年、ライトノベル『ビアンカ・オーバースタディ』を掲載。第1章のタイトルは「悲しみのスペルマ(精子)」である。その他、文学賞受賞多数。
【野尻抱介】
1992年デビュー。星雲賞を短編で4回、長編で2回受賞している。ニコニコ動画ユーザーとしても知られ、投稿する動画はボーカロイドに関連したものが多い。
第40回星雲賞では「ニコニコ動画」をモデルにした作品『南極点のピアピア動画』が日本短編部門を受賞した。アニメ『そらのおとしもの』を題材にした羽ばたき飛行機『空飛ぶパンツ』の監修を担当。
【乙一】
17歳(執筆時は16歳)という若さでデビュー。『ザ・スニーカー』などのライトノベル誌に作品を発表。2003年、本格ミステリ大賞を受賞し、一般作家として活動開始。
【有川浩】
2003年に『塩の街 wish on my precious』で第10回電撃ゲーム小説大賞を受賞。大人向けライトノベル作家を自称し、数々のエンタメ作品を世に送り出す。代表作に『図書館戦争』など。
軽く書きだしただけで以上だ。
実際にはもっと多くの越境が行われている。
わざわざ「近傍」などと書いたのは、上で述べた出版形式にまつわる諸事情があるからで、やや誇張している点は認める。異論はあると思うが、その点については各論的に後述する。
【総論2】
○小説のヒエラルキー
(1)純文学
(2)一般文芸
(3)ライトノベル
重ねて三つの階層を示す。
ここで(1)と(3)に共通点がある。
それは、現代純文学とライトノベルの両者が前衛的な表現を模索するジャンルであるということ。
歴史は繰り返す。
「近年の子供は、夏目漱石などの小説ばかりを読んで漢文を読まない。
これは子供の危機である」
――明治中期の新聞より
権威:漢文経典
蔑視:口語文学 → 権威:純文学
蔑視:エンタメ小説
言文一致運動によるパラダイムシフト
純文学は人間の心情や社会の実像を主題に描写したもの主題が現実的な人間もしくは社会なの
一方ラノベは娯楽小説である以上絶対に現実社会や現実の人間をそのまま描写することはできない。
村上春樹は女性の心情描写が下手でラノベ的といわれることもあるけど
そもそもの主題が異なる以上純文学作家がラノベを書こうとラノベ作家が純文学を書こうと
両者の境界があいまいになるだけで融合なんかしないよ。
日本の文学界は、かつてライトノベルを除いた二層構造で成り立っていた。純文学が権威であり、エンタメ小説(推理小説や伝奇SF)が蔑視されてきた。
ところがここ20年で、その構造が一変した。
うん、融合はしないだろうね。
俺もアジテートのつもりで書いてるから。
問題視すべきは「ジャンル棲み分け」の過剰化にあると思う。
純文学としてSF的モチーフが扱われた時代
↓
SFの本流がラノベに移行
↓
SF=ラノベという認識が一般化
↓
SF的モチーフを用いるとラノベ扱い
これは明らかに純文学の射程距離を狭めている。
このスレは、そういった「文学の滅亡」を回避するための覚書だ。
以前、俺がこの手の討論をしたとき
「つまり、ポストモダンは便所の落書きということですね」
と意見された
まさにその通りだと思う。
俺は、ポストモダン文学、前衛小説が大好きだ。
だからといって、現状、それは過大評価されすぎていると思うし、
一方でライトノベルは過小評価されすぎていると感じる。
面白い人が面白いことをする
↓
面白いから凡人が集まってくる
↓
住み着いた凡人が居場所を守るために主張し始める
↓
面白い人が見切りをつけて居なくなる
↓
残った凡人が面白くないことをする ←イマココ
↓
面白くないので皆居なくなる
まさに純文学はこの過程を取っている。
文学界は、ライトノベルを中心に歪み、自己崩壊を始めている。
注意してほしいのは、その理由が「低俗なラノベが大衆化したから」には限らないということだ。
むしろ、エンタメとしてハイレベルに洗練されたラノベが叩かれ、
小難しく書いただけの純文学がマニア化していることが原因。
これははっきり言って、純文学作家の怠慢と評価せざるを得ない。
読むだけの本の虫、消費者にとってはそれで良いと思う。
なぜなら「僕はこんなに難しい本を読める」というステータスになるから。
だけど、創作者はそうではない。むしろ逆だ。
今どき、ラノベ的な平易な口語体を使いこなせない堅物の「偽インテリ」が、売れる本を書けるだなんて俺は決して思わない。
連中に書けるのは「便所の落書き」だけだ。
真面目な日常小説≠純文学
という事実くらいは、ラノベファンたちにも知ってほしいわけ。
現代作家において「文豪」や「××派」といった表現は用いられない。
ここ20年ほどで、文学界の構造は一変した。
エンタメ小説が純文学の模倣を始め、執筆技術をレベルアップした。
その結果、純文学が売れなくなり、立場を失うことになる。
同じ頃、ライトノベルと呼ばれる新ジャンルが登場し、
一般文芸が新たな蔑視の対象を得た。
こうして三層のヒエラルキーが、一つずれ込むことになる。
何で他ジャンルの作家がちょこっとラノベ書いたりアニメ褒めただけでジャンルが融合してることになるんだよ
んなこと言ったら50年前の時点で芥川賞作家の宇能鴻一郎がポルノ作家になったりしてるんだが
>>47
そら人間の本能だからな
ただほとんどの人間はそんなに本能をさらけ出さないのに
純文学の中ではさらけただしまくり。それは間違いなく「低俗」なことで
純文学離れの一因だと思うけど。
歴史は繰り返す
明治
権威:漢文経典
蔑視:口語文学 → 権威:純文学
蔑視:エンタメ小説
平成
権威:純文学
蔑視:エンタメ → 権威:一般文芸
蔑視:ライトノベル
エンタメのみで完結している
あぶれた純文学「一般文芸から距離を置きたい」
文語の衰退以降、2度目の文学革命だ。
こうして存在意義を失った「現代純文学」に残された道は、王道から大きく外れた「前衛小説」を提示することに切り替わった。
そして、その前衛表現の一つが、紛れもないライトノベルだった。
お前、ラノベ信者だろ?
>>46
No!
まあなんとでも思ってください。
好きな詩人は萩原朔太郎、中原中也、宮沢賢治、金子光春。
その程度のセンスの持ち主です。
前衛というのは、その作品が登場する文脈によって決まる。
もし2013年にハルヒを初放送したとしたら、ただの陳腐な萌えアニメだ。ハルヒが神作として受容されたのは、それが2006年に放送されたという時代背景による。
純文学者から見て、ライトノベルは異文化であり、ある種の前衛である。
役割としてはアイトサイダーアートに近いかもしれない。アフリカの土着芸術が現地人にとって陳腐な玩具でも、ピカソから見て前衛的なら、その模倣は芸術なのだ。
また、一般文芸が日常生活を描く一方、初期のライトノベルは神話や哲学をモチーフにして、今でいう中二的作風に特化していた。
これは本来、純文学の領分である。
かくして「現代純文学」は、アカデミーから流出した「権威」を回収するため、ライトノベルの模倣を始めることになったのだ。
今、仮に夏目漱石の未発見の文章を、こっそり純文学の新人賞に投稿したなら、おそらく予選落ちするだろう。21世紀において、夏目漱石の文体は既に陳腐であるからだ。
実際、村上春樹を真似た文体を投稿して、すぐさま弾かれるワナビは多い。
村上春樹は70年代に登場したから前衛なのであって、二次模倣は既に陳腐だ。
現代純文学は陳腐さとの闘いだ。
ここを分からずに「真面目に書いた小説=純文学」と勘違いして予選落ちするワナビは少なくない。
そして、純文学者たちは、怠慢ゆえにライトノベルを知らない。
だから、ラノベ的言い回しに感動して、それら「前衛的表現」に対し
必要以上の高評価を行っているように思う。
おい、夏目漱石は大衆作家だぞ
当時のラノベ作家みたいなもの
>>55
漱石の時代にまだ純文学というくくりも大衆作家というくくりもないよ。
確かに娯楽小説的な小説も書いてるけど、今でいう純文学もちゃんと書いてるよ。
>>55
その通り。
だが、多くのラノベファン中高生は
それが「純文学」だと思ってネットで話を進めているはず。
「同じ作家は二人要らない」というのは出版社の合言葉だ。だから現代において王道は求められない。ここ20年の小説の流れを見ればわかるが、タイポグラフィックで会話文が多い破格的な表現が称賛されている。
でもラノベが未来で夏目漱石ポジションになるのはありえなくね?
>>63
いやなんというか、教科書的存在なんだよ。坊っちゃんとかこころみたいな
ラノベがこうなるのは難しくないか
>>73
教科書に載ってるから教科書的ってだけで
坊ちゃんもこころも相当俗な内容だろ
>>85
国民的文学になりえるかって話ね
新聞に連載する小説家なんて、大衆作家としか言いようがないだろw
>>61むしろ純文学って大衆むけだよ?
そこに純文学的要素があるかどうか。少なくとも漱石の文章には純文学的要素は大いに含まれてる。
というか
「ラノベも純文学も書かせてもらえる」
という立場にある天才が今いないことが問題。
足早だが、ここからは「各論」になる。
つまり「文学史」のまとめだ。
歴史を知ることが必要だ。
最近の若いオタクは、生物進化を認めない宗教原理主義者みたいだ。
今という一瞬を切り取って、サルとヒトは別の生き物だと必死に主張する。
だけど本当は、二つは同じものから分岐したに過ぎない。
ライトノベルと文学も同じで、根源を共有している。
今や直木賞なんて本を売るための賞だ
権威なんてほとんどないよ
前説が長くなったが、ここからが本題である。
前回述べてきた「文学の三層構造」がいかに成立したのか、
時代を追って見ていくとしよう。
【50年代以前】
○日本の近代文学成立
・芥川賞と直木賞の始まりが1935年。歴史は百年に満たない。
文学は流動的な「変化の動態」であることをまず意識してほしい。
このスレを見ている中高生へ:
とりあえず
芥川賞=純文学
直木賞=SFを除く一般文芸
と解釈しておけば良いだろう。
>>69
直木を受賞したSFがないだけで
直木がSFを除外しているわけではない
むしろ選考対象に含むと公言している
○ありがちな誤解
・仮に純文学を「清純派文学」と捉えているなら、それは大きな間違いだ。純文学は「日常生活の苦悩を真面目に描いた小説」のことではない。
・先に明記しておくが、芥川賞とは「日本国内で最も優れた小説に与えられる賞」ではない。芥川賞とは「特定の文芸雑誌(文芸5誌)に掲載された新人作品」に箔をつけるための社会的パフォーマンスであり、前衛小説の展示場である。これを自画自賛の独占的市場と見なしてもよろしい。
○純文学としてのSF
・国外ではフィリップ.K.ディックのように、純文学出身のSF作家がいる。
・本邦で黎明期のSFを執筆したのは、純文学作家、阿部公房である。あるいはここに宮沢賢治を含めても良いかもしれない。
改行が少なくてすまない
【60~70年代】
○ジュブナイル小説の先駆け
1960年 筒井康隆 SF作家としてデビュー
1976年 赤川次郎デビュー
1977年 夢枕獏デビュー 筒井康隆の手引きによる
○村上春樹
1979年『風の歌を聴け』群像新人文学賞でデビュー。
SF作家レイ=ブラッドベリを多数引用。純文学の質的変化が始まる。
今の純文学は大衆向けじゃないぞ?
当時の感覚ではそうだったから、明治のラノベ作家なんだよ
>>75
そうだから純文学は衰退した。
文士きどってこれこそが人間だとか抜かしながら大衆から離れていった。
【80年代】
○高橋源一郎
・1982年『さようなら、ギャングたち』群像新人長編小説賞
・日本のポストモダン文学の代表。だが実際は「ライトノベル文体を30年先取りした作家」と評することもできる。
実際、漫画的作風を意識していると作家本人が述べている。
これが現代純文学だ。
いやしくも「堅苦しい文体=純文学」と勘違いしているなら、お前らは教科書に洗脳されている。それは30年以上前の話だ。時代は大きく変わった。
現在、純文学の役割は「ああ、こんな文体が日本語として成立するんだ」と気づかせる、すなわち前衛表現の提示にある。
頭の堅い人間、小説初心者は「一般文芸」の整った文体だけを正統派と認める。
だが、それは間違いだ。「純文学とライトノベルは、実は近い存在である」と俺が主張する理由がここにある。
・新潮社日本ファンタジーノベル大賞1989年創設に際し、高橋氏は選考委員を務める。当初は「スタジオぴえろ」と提供、作品のアニメ化を前提にした賞であった。
【80年代】つづき
○群像劇としてのスペースオペラ
・1982年 田中芳樹『銀河英雄伝説』
刊行当初は空前のSFブームであり、SFの体裁さえ整えておけば事実上どんな作品でも売れた。この段階で、日本におけるSFは歴史小説の体裁に近く、哲学的演出は少ない。
○ライトノベル前駆レーベルとしての少女小説
・現在の少年向けレーベルに先駆けて、イラスト入り少女小説が成立した。児童文学からライトノベルが分岐するきっかけとなる。
・後述するように「コバルト文庫」は多くの文学者を輩出する窓口となる。
・ホラー作家として知られる岩井志麻子のように、別名義で少女小説家として活動していた例が多い。
○ゲーム文化の登場
・1986年『ドラクエ』と1987年『ファイナルファンタジー』
・TRPGとして戯曲的に『ロードス島戦記』1986年が執筆される。これがライトノベルの雛形と言われる最も初期の作品。
・富士見ファンタジア創刊。
【90年代前半】
○ライトノベル文壇が確立
・現在のイラスト多用演出のパイオニア
1990年『スレイヤーズ』神坂一
・業界を牽引する二大レーベルの成立
1989年「角川スニーカー文庫」創刊
1993年「電撃文庫」創刊
今に比べ、文学への敷居が高かった時代、若手作家の登竜門としてライトノベルは機能していた。
1994年『魔術士オーフェン』秋田禎信 新進気鋭の17歳作家デビュー(高2)
○SF作家の参入
筒井康隆に才能を認められ、70年代からSF作家集団「ネオ・ヌル」で活動していた山本弘は、90年代に入ってライトノベルに挑戦。富士見ファンタジア文庫と角川スニーカーの発展に寄与した。
○哲学系作品が台頭
・1990年 奈須きのこ
同人作家としてデビュー。才能を講談社に求められ『空の境界』1998年出版。ノベルズ第一版のあとがき解説によれば、伝奇小説、ミステリ、およびSFの系譜に属するとされる。
・阿部和重 1994年『アメリカの夜』群像新人文学賞でデビュー。
・エヴァンゲリオン放送が1995年。カルト的作風の全盛期。
この時代は「学術、教養として語られていた哲学ネタを、アニメや漫画として楽しもうぜ!」という気概に満ち溢れていた。
当然ながら、この段階では「中二病的」などというアホらしい揶揄は存在していない。
村上春樹はどういう位置付けなんだ?
>>87
とりあえず
純文学賞出身なので純文学作家。
【90年代後半】
○講談社『メフィスト』 1996年創刊 前衛小説の専門誌
オタ向けとミステリと純文学が混然一体の文芸誌がメフィストだ。
・第0回受賞者 京極夏彦
難読漢字と改行を多用する作風は夢枕獏とともにライトノベル文体の源流となった。
・第1回受賞者 森博嗣
のちに2008年『スカイ・クロラ』がアニメ化される。
・第2回受賞者 清涼院流水
当時から「ライトノベル的」と称される。
時代はやや先取りするが、まとめると
〈作家系譜図〉
京極=[直木賞]=辻村深月
↓
森博嗣→浅暮三文→舞城=[芥川候補]
↓
清流院→西尾維新=[ライトノベル]
西尾の言葉遊びの源流は森博嗣にある
そして純文学作家が新劇エヴァに関与している。
さすがにラノベとは違う。
漱石は人間の心情や世相を反映してるけど
ほぼすべてのラノベからは娯楽以外のものしか出てこない。
奈須は一部の熱狂的な信者に受けているだけだな
【90年代後半】つづき
○純文学がゲームの影響を受け始める。
・平野啓一郎
1998年『日蝕』新潮デビュー。同作により第120回芥川賞を当時最年少で受賞。
中世フランスを舞台にした錬金術師と両性具有者の物語。大塚英志が『ドラクエ』と『ファイナルファンタジー』の影響に書かれたと指摘。なお岡田斗司夫が社会学的観点からオタク評論を始めたのがこの時期。
※繰り返しになるが、大切なので要約する。
今から20年以上前、RPG的な厨二全開の小説が芥川賞を取っている。
演出上、見開き前ページ白紙など、漫画的な演出が取り入れられている。
同時期、ミュージシャン出身の町田康がある種のラップ的な口語調でデビュー、のちに芥川賞作家となる。
文壇は変容した。戦後派作家が世を去り、各世代が入り混じり、ついに「~派」と呼ばれる文学分類は消滅してしまう。商業主義と芸術性の両立がいよいよ困難になり、文学は文化の枢要的地位を失いつつあった。
まぁ、直木賞は文章表現とか芸術性なんて関係ないからな
【90年代後半】つづき
○ライトノベル周辺ジャンルから初の直木賞作家
・桐野夏生
第2回サンリオロマンス賞佳作『愛のゆくえ』(1984年)で少女小説家としてデビュー。その後『柔らかな頬』(1999年)によって第121回直木賞受賞。
○初期ライトノベルの完成
・1993年 小野不由美
前述した「日本ファンタジー大賞」経由で出版。のちに『十二国記』『屍鬼』がアニメ化。ちなみに後述する綾辻行人と夫婦。
・1996年 乙一
『夏と花火と私の死体』でジャンプ小説・ノンフィクション大賞受賞。ライトノベル作家としてデビュー。角川スニーカーへ移籍し活動開始。
・1996年 冲方丁
『シュピーゲル』シリーズ 角川スニーカーで活動。
・1997年 橋本紡
電撃文庫『半分の月がのぼる空』によって、その後は一般文芸に越境。
・1998年 秋山瑞人
電撃文庫『イリヤの空、UFOの夏』によって、後述するセカイ系の嚆矢として知られる。
・2000年 時雨沢恵一
電撃文庫『キノの旅』
この流れで分かるように、ライトノベルは次第に「群像劇」から「個人の内面」を扱うように変化する。キャラクターの複雑な人間関係ではなく、自我と社会の関係性がテーマとなる。
【2000年代前半】
○セカイ系の勃興
・麻枝准
ゲームシナリオライター。2000年『AIR』と2004年『CLANNAD』が代表作。江國香織『犬とハモニカ』よよび村上春樹『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』『ノルウェイの森』を参考としてシナリオを書いたことを公言。
よくネット上で「Key作品は人を選ぶ」と言われ、かつKey信者は多く存在するが、これは熱狂的なハルキストとオーバーラップしていると思われる。
・東浩紀
2004年からの「セカイ系」評論において上記作品にしばし言及。大澤真幸が『不可能性の時代』において岩波新書で初めて美少女ゲームを論じた際に論文を引用している。
最も硬派なイメージである「岩波新書」が
意外にも美少女ゲーム評論を行っている。
漱石とか谷崎は昔は軽視されてたとか思ってる奴ときどきいるけど、当時だって今のラノベ的立ち位置の小説はあってそれらが漱石と比べて低俗だという意識はあったからね
「家庭小説」とか「大衆小説」というかのがそれで、半井桃水とか武田仰天子とか小杉天外が代表作
ただエンタメ小説は文学史には残らないから知られてない(金色夜叉レベルのヒットじゃなきゃ歴史には残らない)だけで、当時だって「高尚な文学」と「低俗な文学」という区分はあったの
だから、例えば谷崎は大純文学作家扱いされてるけど初期に書いた探偵小説は今ではちっとも読まれないし、「猫である」だってあまり批評の対象にはされないわけ
一言でいうなら昔は純文学とエンタメの境目がなかったっていうのは嘘
本が売れない時代だから、内容云々よりもとにかく売れる娯楽作家が求められているだけだな
【2000年代前半】つづき
○ライトノベル系直木賞作家が4名続出
・山本文緒
集英社コバルト・ノベル大賞『プレミアム・プールの日々』(1987年)
第124回 直木賞『プラナリア』(2001年)
・唯川恵
集英社コバルト・ノベル大賞『海色の午後』(1984年)
第126回 直木賞『肩ごしの恋人』(2002年)
・村山由佳
ジャンプJノベル大賞『もう一度デジャ・ヴ』(1991年)
第129回 直木賞『星々の舟』(2003年)
・角田光代
集英社コバルト・ノベル大賞『お子様ランチ・ロックソース』(1988年)
芥川賞ノミネート計3回。第132回 直木賞『対岸の彼女』(2005年)
○講談社に新たな動き
・舞城王太郎
2001年 第19回メフィスト『煙か土か食い物』でデビュー。2003年『阿修羅ガール』では作中でアスキーアートに言及。2004年『好き好き大好き超愛してる。』など、ライトノベル的な超口語体が歓迎される。第131回より芥川賞ノミネート複数回。
・京極夏彦
2004年 直木賞。メフィスト関連として初。
・西尾維新
2002年 第23回メフィスト受賞『クビキリサイクル 青色サヴァンと戯言使い』でミステリ作家としてデビュー。
・乙一
2002年『GOTH リストカット事件』で講談社に才能を認められ、本格ミステリ大賞を受賞。ライトノベル作品が一般文芸化された例として第一号。西尾維新がミステリからライトノベルに進んだことと対照的。
【2000年代前半】つづき
○角川スニーカーを中心として「ライトノベル文体」が確立
・滝本竜彦
2001年 角川『ネガティブハッピー・チェーンソーエッヂ』
・米澤穂信
2001年 角川『氷菓』
のちにアニメ化され、一般文芸への越境作家として広く知られる。
なお、時間軸的に
エンタの神様(2003年~)がラノベの掛け合い文体の源流になっていて
コントバブルの衰退とともにラノベが叩かれ始めたと解釈することが可能
なおドラマTRICKのノリが2000年放送
加えて書いておくと、次に言及されるハルヒのノリを、エヴァのセカイ系、さらにアキラを経由して80年代以前のドラッグ文化に源流を求めることすら可能なのだが、ここで論じるのは割愛する。
さて、そのハルヒについてである。
米澤穂信は最初からずっとミステリしか書いてないんだが一般的にはそういう認識なのか
>>102
デビューが角川学園小説大賞だからな
スニーカーの分派レーベル
その後角川一般レーベルに移っただけ
>>102
より正確には「角川スニーカー」成立黎明期の
「角川学園大賞」の出身
wikiでは越境作家の一例となっているな。
実際、あの小難しい単語を使いたがる、中身薄っぺらの文体はラノベ特有だし
それは森見文体、あるいは円城塔ともリンクし合っているというのが俺の見方。
>>106
ああそっか、レーベルでの括りだったか
thx
>>109
むしろジャンルで
ミステリだからラノベじゃない!
とか括る層が増えてきたから
大衆娯楽小説とラノベの垣根が曖昧になって来たんだよな
ミステリだからラノベじゃないってんなら西尾維新とか神メモとか
レーベル括りで言えば滝本竜彦なんかラノベレーベルでは出してないし
・谷川流
2003年 角川『涼宮ハルヒの憂鬱』が業界に一大旋風。
筒井康隆が絶賛し、セカイ系SFとして東浩紀らが引用。
1)ポップなノリツッコミの独白を完成したのが滝本。
2)難解な漢語多用による衒学文体が米澤と森見。
3)哲学概念を詰め込んだセカイ系脚本が村上春樹。
この3系統を史上初めて統合した作品が「ハルヒ」だ。
綿密に計算された文体模倣になっていることを俺は知っている。なお、本作が受賞した「角川スニーカー大賞」は十年に一度の超難関。しかも同年に電撃大賞を同時受賞している。
ラノベ界において、これほどの才能あふれるデビュー例は他に類を見ない。
彼の作品がブームを巻き起こしたのは決して偶然ではない。
「ハルヒ」は
ライトノベルのありうべき方向性を開示した、一つのマイルストーンである。
無論、その後の二次模倣の乱立という功罪も大きいが……
○純文学作家がライトノベルに関心を持ち始める
・阿部和重
スーパーダッシュ文庫 (集英社2001年~)の審査員を第5回まで務める。アニメ『カードキャプターさくら』のファンを公言し『涼宮ハルヒの憂鬱』の二次創作小説を発表。2005年『グランド・フィナーレ』で第132回芥川賞を受賞。
とりあえずここでは、ハルヒをめぐって史上初めてライトノベル、一般文芸、純文学の作家が相互に交流しあったという事実を銘記されたい。
日本の純文学が嫌いなら、海外の小説を読めばいいんじゃね?
【2000年代前半】つづき
○ライトノベルから一般文芸への移行が増える
・有川浩
2003年に『塩の街 wish on my precious』で第10回電撃ゲーム小説大賞。2006年『図書館戦争』にて一般文芸へ。新ジャンル「大人向けライトノベル」を確立した。
・冲方丁
2003年から ハヤカワに移籍『マルドゥック・スクランブル』
○光と影
・鎌池和馬
2004年に『とある魔術の禁書目録』で電撃文庫デビュー。旧来SFファンの一部からは高い評価を受ける。その一方、質より量、スピード重視という執筆スタイルを印象付ける形となり、しばしば悪文が槍玉に挙がった。
若い読者からの人気を集め、読者層の棲み分けが顕著となる。この頃からライトノベルに対するネットバッシングが目立ち始める。いわく「ラノベの萌化=劣化」である。
・なお、電車男、ハルヒのアニメ化で盛り上がったのがだいたいこの時期。
【2000年代後半】
○本格ライトノベル作家として初の直木賞
・桜庭一樹
1999年、ファミ通エンタテインメント大賞『夜空に、満天の星』でデビュー。
角川スニーカーに移籍し『砂糖菓子の弾丸は打ちぬけない』でミステリに移行。2008年に『私の男』で第138回直木賞受賞。その後は『GOSICK』シリーズによって、直木賞作家かつアニメ原作者となる初の快挙。
・補記:三浦しをん
2005年直木賞。出身は異なるが、しばしば「ライトノベル的」と評される。少女漫画とBL小説に精通しており、直木賞受賞後はコバルト文庫と官能小説(R-15小説大賞)に関与した。
○男性ライトノベル作家として初の直木賞候補
2009年 冲方丁『天地明察』が第143回直木賞にノミネート。同作は『おくりびと』の滝田洋二郎監督によって映画化された。
【2000年代後半】
○ミステリ作家の参入
・宮部みゆき『ブレイブ・ストーリー』2006年
・綾辻行人『Another』2006年。日本ファンタジー大賞出身者を多く抱える「野生時代」にて掲載。
なお上記二作品はともにアニメ化された。
○SF界に動乱
・日本SF新人賞1999年~2009年で終了。
・小松左京賞2000年~2009年で終了。
業界低迷が明らかに。SF作家のデビュー枠がライトノベルしかない状況が続く。2009年、哲学系SF『紫色のクオリア』が電撃文庫から出版された背景にはこのような事情があるのではないかと思われる。
・野尻抱介
90年代よりハードSF作家として活動していたが、2008年から初音ミクとニコニコ動画をテーマにした『ピアピア動画』シリーズをハヤカワ書房より刊行。古典名作で知られるハヤカワが方針転換、ライトノベルに接近したかに見受けられる。
・SFの衰退に伴って日常系アニメが増加。しばしば批判の対象となる。
【2000年代後半】つづき
○ライトノベル界の構造変化
・紅玉いづき
2007年 電撃大賞『ミミズクと夜の王』でデビュー。イラストなしライトノベルの第一号となる。これを機に2009年「大人向けライトノベル」であるメディアワークス文庫が電撃文庫から派生。
・西尾維新の動向
2006年から『化物語』シリーズで人気を博す。以後、ミステリ作家からライトノベルに移行。非ライトノベル出身でライトノベルに完全移籍する第一号となる。
・マイナーレーベルの乱立
2007年 小学館ガガガ文庫
日本の近代文学作品をライトノベル調に脚色する「跳訳シリーズ」を手掛ける。田中ロミオ『人類は衰退しました』のヒット以後、同氏が制作サイドで関与。麻枝准と同じゲーム会社Key出身である。
この頃から「パロネタ」が目立つようになり、ネットによるバッシング対象となる。しかしはっきり言って、この傾向はジャンルの成熟を示しているに過ぎない。ミステリにおける「バカミス」や、SFにおける「メタSF」など、同様の手法は文芸全般に見られる。
そして、いよいよ時代は「今」へ
【2010年代現在】
○直木賞関連
・辻村深月
2012年、メフィスト出身作家として初の直木賞受賞。
ライトノベル読者であることを公言。実際、2012年には『サクラ咲く』というライトノベル調の作品を出版した。
○芥川賞関連
・円城塔
ハヤカワSF作家出身でありながら純文学へ越境。
2007年『オブ・ザ・ベースボール』第104回文學界新人賞受賞でデビュー。
2009年『烏有此譚』作中にて電撃文庫作品を脚注に引用。第32回野間文芸新人賞受賞。
2012年『道化師の蝶』で第146回芥川賞受賞。SF作家として初の芥川賞快挙。
受賞に際して、ナボコフの『ロリータ』を参考にしたとコメント。妙に古風な言葉を交ぜる文体は、谷川流や米澤穂信によく似ている。その他の近作『これはペンです』や『つぎの著者につづく』など、文章タイトルはライトノベルを意識したものでは。
・舞城王太郎
芥川賞候補に複数回ノミネート。
2012年、エヴァンゲリオン劇場版『巨神兵 東京に現る』台詞脚本担当。
村上春樹の小説ってよくRPGっぽいって言われるけどさ
そういう意味ではラノベ的なんじゃないの?
笠原メイみたいなJCも出てくるしさ
【2010年代現在】つづき
○村上春樹とその周辺
・麻枝准、谷川流、入間人間など、同氏がサブカルチャーに与えた影響は大きい。
・2011年、幾原邦彦が村上作品のオマージュとしてアニメ『輪るピングドラム』を監督。なお、もともとセカイ系という概念を最初に提唱したのが同氏。
・森見登美彦のSF『ペンギン・ハイウェイ』は村上作品のオマージュである。アニメ『輪るピングドラム』の作中にペンギンが出てくるのは、本作の影響と俺は考えている。
・2012年『色彩を持たない多崎つくると彼の巡礼の旅』について、そのライトノベル性が各所から指摘。評論家としては東浩紀の他、大森望、上田麻由子などがこの辺りに詳しい。
・村上春樹『4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて』と、2013年放送アニメ『変態王子と笑わない猫。』第8話「100%の女の子」
田中ロミオがkey出身ってwいやkeyでゲームつくったことはあるけど出身ではないと思うぞ
>>123
マジですか
俺の不勉強ですw
こんなこと書いているが、一般向けゲームすら一度もプレイしたことない堅物人間なので……。
【2010年代現在】つづき
○脚本家としてのライトノベル作家
虚淵玄がその一例。祖父は探偵小説家、大坪砂男である。ライトノベル『Fate/Zero』シリーズが2011年にアニメ化。本作は伝奇小説家、奈須きのこの指導下に書かれた。
○由緒ある作家らのライトノベル出版が続く
・筒井康隆 2012年『ビアンカ・オーバースタディ』
・石田衣良 2013年 直木賞作家として初のライトノベル執筆を表明。
○小説原作アニメが増加
・池上永一『シャングリ・ラ』が筆頭。前述した「日本ファンタジーノベル大賞」出身である。森見登美彦もまた同賞で2003年デビューしており、2010年に『四畳半神話体系』、2013年に『有頂天家族』がアニメ化。
・あさのあつこ『No.6』
・角川ホラー大賞出身である貴志祐介『新世界より』
上遠野あたりはラノベの枠を越えてる
結局このスレの趣旨はなんなんだよ
一方的に証明するだけならラノベバカにしてるやつにこの説明すればいいんじゃないのか?
ラノベは擬音を多用するから、馬鹿にされるんだよ
学園ハーレムか異世界転生俺ツエーにあらずんばラノベにあらずに至る経緯かと思ったら、もっと深かったでござる
【2010年代現在】つづき
・綾辻行人『Another』、坂口安吾『UN-GO』、城平京『絶園のテンペスト』などミステリ関係の躍進も目立つ。なお2004年放送の『心霊探偵 八雲』の初版は自費出版である。
・そもそも、ミステリはエンタメ小説において最も純文学から遠い、ライトノベルに近いジャンルである。ミステリ作家を中心としてサブカル的交流が生まれるのは当然と言える。
・2012年からは『ソードアートオンライン』『まおゆう』『ログ・ホライズン』などネット発の小説が増える。なお『ソードアートオンライン』の世界設定は、1989年刊行のSFミステリ、岡嶋二人『クラインの壺』を参考としており、作中キャラクター「クライン」の名前はこれに由来する。
・本作の売れ行きと2chにおける評価の解離は、もはや2chが創作評論の場として機能していないことを示している、と断罪せざるを得ない。
○ライトノベルの実写化が相次ぐ
・テレビドラマ化された「失踪HOLIDAY」や「メイド刑事」、映画化された「ブギーポップは笑わない」、テレビドラマ化された後に映画化された「半分の月がのぼる空」などのように、近年では実写化も目立つようになった。
・2013年、三上延のミステリ『ビブリア古書堂の事件手帖』がドラマ化。大人向けレーベル「メディアワークス文庫」の成立に伴った動きである。
・同じ頃『よくわかる現代魔法』シリーズで知られる桜坂洋『All you need is kill』に実写化の話が持ち上がる。2014年にトム・クルーズ主演でハリウッド映画化公開されることが決まっている。
・世にも奇妙な物語 '13秋の特別編において、古橋秀之『ある日、爆弾がおちてきて』が電撃文庫から実写化。ライトノベルとしてはシリーズ初。
○市場効果と社会的展望
・現在、ライトノベル市場は書店業界の3割以上を占め、作家の登竜門としては国内最大である。なかでも規模最大の新人賞は、電撃新人賞である。
・2009年、岩崎夏海『もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』のミリオンヒットによって、ライトノベル装丁が社会認知された。この頃から一般文芸のイラストにアニメ画の採用が増え、ジャンル間の境界は薄れる傾向にある。
○海外
・ライトノベルは当然ながら海外翻訳され、日本の小説モードの一つとして認知されている。2005年、電撃文庫でデビューした支倉凍砂『狼と香辛料』は、海外カバー版において実写調イラストで流通している。なおロシア語圏では「light novel」ではなく「ranobe(ранобэ)」で通じる模様。
・逆にアメリカ人、ステファニー=メイヤー著のティーン向け小説『トワイライト』は、国内ではアニメ調の表紙に差し替えられている。
・1997年にイギリスで刊行された『ハリーポッター』シリーズによって、児童文学の価値が再認識された。だが仮に日本で新人作家が同作を投稿するなら、窓口はライトノベルとなるだろう。
繰り返すが、出版社は作家の投稿先によって決まる。ネットにおける「ラノベ差別」は、若い才能が世に出る機会を奪う甚だしい加害行為だ。
なお2011年には、乙一が「山白朝子」や「中田永一」の別名義でも活動していることを公表した。今後、ライトノベル出身者でこのような例は続くだろう。つまり、お前らが崇めている「一般」の書き手が、実はライトノベル作家であったという例は確実に増える。
加えて、ここで指摘しておくが、表現規制をめぐって、今後、ライトノベルからのジュブナイルポ○ノの排除と、ジャンルの再定義が起きる可能性は高い。
ネットには表現規制擁護が目立つが、社会がそれを選択した場合、いみじくもジャンル融合は加速することになる。その点を意識した上で言論するといい。
なお、俺は多くの文学者と同様、規制反対派である。
現在、日本のSFで最も力を持っているのはライトノベルであると言って過言ではない。このような現状で、差別的発想からジャンルの全否定を行うことは、日本の文芸全体の衰退をもたらす。
読者にできるのは、面白い作品を先入観抜きで正しく評価すること。整った文章を信奉するなら『虎よ、虎よ』や『ドグラ・マグラ』は出版されない。ライトノベル差別が蔓延する日本では、第二の『ハリーポッター』は決して生まれない。
読者層の興味に敏感なのがラノベ
流行り廃りに関係なく自分の思想や感情を世に広めようとするのが純文学だと思ってたわ
ラノベが大衆化して社会的影響を与えてるのは解るが
ほとんどのラノベは時間つぶし以外の何物でもないと思うよ。
【まとめ】
このスレを見ている
中高生、あるいは中高生同然の頭の持ち主へ:
世間を知らないガキが叩いて喜んでいるんだろうけど、
何か見下したくて、そこにライトノベルがあっただけだろ?
自称硬派の連中へ:
自分が「読書家」であることを自慢するために「ライトノベルは小説ではない」などと虚言を吐くな。
確かにラノベの多くはクソ以下の低俗だ。だが、差別は良くない。
レッテル張りは馬鹿の所業だ。表現の可能性を潰すな。
ワナビの方々へ:
20代のラノベワナビは、投稿する前に一考すべき。
同じ文章で、一般レーベルなら文学賞を狙えるかもしれない。
30代になってから後悔しないように。
純文学の方々へ:
ラノベ的表現を過剰に持ち上げすぎないようにお願いします。
言いたいことは以上。
おわり
用事が出来たので、これにてさよなら。
ちょっと無駄な事書きすぎじゃないですかね
>>2
の応募可能な出版社についても言及して欲しかったな
現代はある程度書きたいテーマとかがあり、かつ若者向けに書こうと思っても、女の子いっぱいにしないとカテゴリーエラー扱いにされてしまう(あくまでカテゴリーエラーは都市伝説の域でしかないが)
2000年代までなら概ね、この人の考え理解できるけど、それから今のとこまでがいつも無いんだよな。
メディアワークス文庫とか、最近のWeb小説とか最近のラノベ事情まで踏み込んで欲しい。
もう少し質問とかに答えてほしいけど
とりあえず>>1乙
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元スレ 【ラノベ】作家を馬鹿にしているガキどもちょっと来い【文学史】
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